私が考える「中学受験は親子の受験」の意味するところはこれです。
狙える学校の偏差値
=親の一切のフォローなしの場合に見込める子の推定偏差値+子を底上げできる親のフォロー期待値
「中学受験は親子の受験」とは耳タコですが、「ああ。そういうことか。」と妙に納得した瞬間がありました。今日はそのお話をしようと思います。
中学受験は親子の受験
5年生の後半でしょうか。塾の三者面談で先生とお話ししていて、どうにも不思議だったのです。
私が見積もるのびこの選択可能志望校群に比して、先生が推してくださる学校のレベルがどうにも高いのです。「今ここまで仕上がっていれば、間に合いますよ。」と言ってくださるのです。
「いやいや。先生。そんなことはありませんて。」
「いやいや。いけますって。」
「いやいや・・・。」
お約束の会話の応酬の中で、ふと気づいたのです。「あれ?この先生、ずいぶん私をほめてくれるな」と。「私も長く中学受験の世界にいますが、これだけのお母さんはいません。」とまで言ってくださるのです。
「ひゃっほう。先生、ありがとう!その一言でまた明日も生きていけるよ。」と思うのと同時に、「ああ、私の頑張り分も加味されてののびこの評価なのだ」と妙に合点がいったことを覚えています。
もちろん私もいい大人ですので、先生の褒めてくださるすべてを真に受けるほどおめでたくはないつもりですが、この時、「ああ、今までやってきたことはまちがいじゃなかった。ようやくここに立つことができた。」と感慨深かったものです。
「ここ」とは御三家の一角を狙えるスタート地点。
のびこのがんばりがなければ、いくら私がフォローしてもここまでくることはできなかったし、私のフォローがなければのびこをここに立たせることはできなかった。
そういう意味での「親子の受験」であり、「二人三脚の受験」であり、さらにきれいごとでなく言うならば、「狙える学校の偏差値=親の一切のフォローなしの場合に見込める子の推定偏差値+子を底上げできる親のフォロー期待値」ということなのだろうと。
たくさんの親子を見ている塾の先生の目には「この<家>はここまで狙えるかな」というのがはっきり見えるのかなと。
そんなことを考えたのでした。
さて、次回はこの公式をのびこに当てはめるとどうなるかというおはなし。
この面談の後、家でのびこに「ママ、すごく喜んで大きな声を出していたよ。のびこは恥ずかしかったよ」と言われたものです。だって、褒められたの初めてだったんだもん。親だって頑張ってるのよ。